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管理者プロフィール

はじめまして。はづき です!

このWEBサイトをご覧いただきありがとうございます。

これまで私は、会社員として好きなことを仕事にしてきました。
ところが、この働き方に数年前から悩むようになりました。

その悩みというのは、
どんな社会状況であっても、毎日通勤しなければいけない
家族に助けを求められても、すぐに対応してあげられない
ライフステージが変わった時、会社員として働き続けられる自信がない

そして、そんな私が今目標にしているのが、

1年後に在宅で月収30万円を稼いで脱サラ

その半年後にフリーランスとして月収50万円を達成すること。


以前からフリーランスという働き方に、興味や憧れがありました。

しかし、周りにそんな人はいないし、そもそも通用するほどの実績やスキルがないので、選択肢に入れないようにしていました。

そんな私に、ある転機が訪れてWEBフリーランスになりたいと思うようになりました。

そして、どうやって目標を叶えていくか。
その成長過程を記録し、こんな方の参考になる情報を発信していきたいと思ってます!

今の働き方に違和感がある
・在宅での仕事に興味はあるけど、うまく行動に移せない

フリーランスになるまでに何をしなければいけないのかわからない

では、こんな私がなぜWEBフリーランスを目指すようになったのか。
その経緯を自己紹介を含めてお話ししたいと思います。

生い立ち

小学生時代 │ 2つの夢との出会い


転勤族のため、幼少期から何度も引っ越しを経験しました。

住むところが変わっても家族や友達と過ごすことが大好きで、のんきで明るい性格の子供でした。

小学3年生になるタイミングで関西から東京に転校した時のことです
「それまで住んできた街とは何か違う」と子供ながらに察知し、クラスメイトともなかなか馴染めず、以前のように友達と遊ぶことがなくなりました。

そんな退屈な日々を過ごしていた頃、
『好きなテレビ番組を見ること』と『鞄への興味』が私を救ってくれました。

どこにいてもテレビを付ければ楽しい気分にしてくれ、
商店街にあった鞄を扱うお店に母に連れて行ってもらっては、可愛い鞄が見続けていました。

そして『テレビ番組を作る仕事』と『鞄を作る仕事』、この2つが私の夢となりました。

幸いにも私の祈りが通じたのか1年で転校することになり、都内の別の街に引っ越してこれが最後の転校に。他にも転校生が多かったので、ここでは最初から特に違和感なく溶け込むことができました。

今でも付き合いのある友達ができ、最後は平和に小学校を無事卒業。

中学生~大学生 │ 夢を実現するきっかけ


中学生から高校生の時は、成績は常に真ん中より少し上で、地味でおとなしい帰宅部の3軍女子という6年間でした。

この頃はファッションに興味があり、鞄を作りたいという夢に近づくためにバッグデザインが学べるファッション系の専門学校の入学パンフレットを集め、暇さえあればそれを眺めていました。

しかし、将来の幅を狭くしないほうが良いという理由で、普通科の高校に行き4年制大学に進学するよう両親から説得され、専門学校への進学は断念。

特に行きたい大学を決めないまま受験勉強をしていましたが、最終的には両親が勧める大学に入学することなりました。

最後の学生生活。
何か新しく夢中になれることを探したいと思っていたところ、モノクロフィルムカメラで撮影から現像までを自分で出来るということに魅力を感じて、写真部に入部。

大学4年間は現像液の独特な匂いに包まれながら、暗室に籠りっきりの生活になりました。

4年生最後の展示会には、手のひらから伝わる愛情をテーマに作品を制作しました。

陶芸をする友人に協力してもらい早朝から撮影。
白から黒まで鮮明に映し出せるよう丁寧に現像し、大きな印画紙にろくろを回す友人の手元の写真を引き伸ばしました。

その作品は、4年目にして初めて納得できる作品となりました。
さらに、たまたま展示会に立ち寄ったという男性からお褒めの言葉をいただき、作品に込めた気持ちを伝えることができたという嬉しい体験を得ることもできました。

『感動を形にして、それを伝える仕事がしたい』

この経験をきっかけに、それまで何となく就活をしていた私は、子供の時の夢のひとつであったテレビ業界を目指すようになり、テレビ番組の制作会社に入社しました。

職歴について

テレビ番組制作AD

最初に配属されたのは、シフト制で勤務時間が毎日不規則なニュース専門番組。

業務内容は一般的なADとは違い、ニュース映像の再編集がメインで、たまにディレクターの取材に同行していました。

芸能人が目の前に現れたり、先輩に普段行けないような華やかな場所に連れて行ってもらえたり、山奥の大学で4年間、山猿生活をしていた私にとって刺激的な毎日。
入社半年後に一人暮らしも始め、自由気ままに過ごしていました。

3年目になると異動し、夕方のニュース番組を担当することに。

仕事内容はガラッと変わり、異動当初は何をしたらいいか、サッパリわかりませんでした。

ディレクターからは「前の番組で何してきたの」と呆れられ、簡単な頼み事も近くにいる私ではなく、忙しく動き回る他のADに指示されるということも多々ありました。

なんとしてでも仕事をさせてもらいたい。認めてもらいたい。

多くのディレクターに好かれているADと、そうではないADの違いはなんだろうと、様子を観察することにしました。
そうすることで見えたのは、仕事で信頼されているかということでした。

その後からは、一人ひとりのディレクターの特徴をよく観察し、指示をされる前から先回りして準備をしたり、撮影の仕方で注意をされれば次の日には直して、少しずつ信頼を得られるように努力しました。

次第にディレクターの方から担当に指名してもらえるようになり、仕事に対して自信と誇りを持って取り組めるようになりました。

3時間びしょ濡れのまま外に放置されて一週間風邪が治らなかったり、
取材先の飲食店で出された食事を食べ残せず、毎回全部食べていたら1カ月で5キロ太ったり、つらいことばかり経験しました。笑

その分、尊敬するディレクターに仕事で認めてもらえた時は嬉しく、自分もこういうディレクターになりたいと思っていました。

しかし、不規則な生活は相変わらず続き、それに対して身体が耐えきれなくなったので、4年目に退職することにしました。

テレビ関係で転職先を探そうとも最初は考えました。

でも、27歳でまだ若い。
せっかくなら新しいことに挑戦してみたいという気持ちが強く、子供のときのもう一つの夢だった、鞄を作る仕事を目指すこととなりました。

ランドセル職人

土日祝日休みで8時間勤務、健康的な生活を手に入れ、不規則生活で荒れていた体調はすぐに回復。

入社して最初に教わったのは、背あてのスポンジを専用の板に貼り付けるという単純な作業でした。スポンジを貼るときの力加減や角度によって、その後の作業のしやすさやランドセルの仕上がりが全く違ってくると教わりました。

こうした、ものづくりの奥深さに魅力を感じて、この仕事を生涯続けたいと思うようになりました。

AD時代に培った、仕事をさせてもらえるのは当り前ではない精神で、一つ一つの作業に真剣に取り組みました。

150以上の工程があるうち、すべての作業が経験できるようになるには10年程かかると言われていましたが、3年目の頃には半分ほど経験させてもらいました。

やがて、後輩職人の教育や製造管理を任せてもらえるチームリーダーになりました。

それまで得てきた経験を生かして、今後さらにこの会社で頑張りたいと思っていた矢先、コロナ禍に突入。

製造業という仕事柄、リモートワークは不可能。
製造をストップする訳にもいかないので、感染が広がる中、不安な気持ちを抱えたまま毎日通勤していました。

そのような状態で半年は何とか乗り切ることができていましたが、直属の上司からの理不尽な指示や、工房の狭い空間で起こる人間関係のこじれへのストレスが原因で、やがて不眠症になりました

精神的に不安定な状態になり、毎日帰宅して玄関ドアを開けた瞬間に大量の涙。
食欲はなく、お風呂に入ってベッドの中に入るものの、不眠症なので一睡もできない。
休日はベッドから起き上がれないまま時間は過ぎ、
そのまま月曜日の朝になって機械的に起き上がり、また1週間同じことを繰り返す日々を過ごしていました。

ある日、私の異変に気づいた父から実家に戻って休むように説得され、自力ではどうにもできないほど限界に達していたので、実家に戻りました。

一人で外を出歩くこともつらいと感じる状態でしたが、母が映画を誘ってくれたり少しずつ元気を取り戻せたので、10日間無断欠勤した甲斐があったと今では思っています。笑

職場に再び戻り、もう一度ここで踏ん張って仕事に集中しよう!と思っていましたが、毎日涙が出てきてしまう状態は変わらず続いていました。
さらに、仕事柄やむを得ないとはいえ、どんな社会状況であっても会社に出勤しなければいけないという働き方に対して、大きな不安を感じるようになっていました。

不安定な精神状態から抜け出したい、もっと柔軟な働き方ができる仕事がしたい。

ズルズル働いていてもしょうがないと、5年目にして思い切って退職しました。

不思議なもので、退職した翌日になると泣くことがピタッとなくなりました。

こうして再び転職先を探すこと。

在宅ワークに魅力を感じる無職期間

次の転職先を決めずに退職したので、3カ月程無職でした。

その間に、在宅でできる仕事がしたいと思うようになりましたが、そのためのスキルは何もありません。

何かスキルを身につけなければと思い、プログラミングやWEBデザインが学べるスクールに興味を持ちました。
しかし、どれも莫大な入会金と授業料、さらに年齢制限があったり、スキルを学んだ後の未来の自分の姿が思い描けなかったので諦めてしまいました

他に良い方法を見つけることができず、そろそろ何か仕事をしなければ社会に戻れなくなるのではと不安になり、未経験OKの不動産事務として働くようになりますが、経営不振のため会社都合で3カ月で退職。

急な通告でしたが、再び無職に戻ることは避けたかったので、転職エージェントに紹介された会社にすぐに入社しました。

動画・デザイン制作会社

現在の職場は社員数が10人程ですが、人間関係は特に問題なく、8時間勤務で残業もなし。
グループ会社の店舗で使用する、動画やPOPの作成、その会社のSNS運用や雑務全般を引き受ける会社です。

しかし給与は最低賃金レベルで、福利厚生は皆無、上司の予算管理が不透明なので、再び転職したいと入社半年から次第に考えるようになりました。

ところが転職サイトで正社員の求人を見ても、求められる人物像に自分はあてはまらないし、転職エージェントに理想の職場を伝えても「どれか妥協できる条件はないか」と言われました。

つまり、30代で、求人の多い営業・事務・販売職などに必要なスキルや経験がないため、転職先の選択肢が少ないという現実に直面しました。

これまでどの仕事でも、それぞれで求められるスキルを磨くため頑張ってきましたが、
それは世間に求められるスキルと大きなギャップがあるということに気づかされたのです。

そのままどうすることもできず、気づけば2年半経っていました。

在宅ワークを本気で目指すことになったきっかけ

結婚を機に、夫の職場がある街に引っ越しました。
現在、基本的に残業がない夫は、毎日17時過ぎには帰宅しています。

一方、私の通勤は往復3時間になりました

そのため仕事から帰宅した後、私は家事を一切したくないので、平日夜の家事はほとんど夫にお願いしています。

しかし、そんな幸せな生活が終わりを迎えることに。

夫の勤務形態が変わり、現在の何十倍も仕事量が増え、ほぼ毎日の残業は避けられないというのです。
そうなると、私も平日に家事をしなければいけなくなる。これは私にとっては一大事。
通勤に往復3時間もかけていられなくなったのです。

それに心配事は続きます。

夫はハードワークに耐えきれるのか。
というのも、生まれながら病弱な体質で、しょっちゅう体調不良を訴える夫。
今の何十倍も大変な仕事を続けられるのかという心配があります。

前述したように、私は過去に精神的にボロボロになってしまった経験があるので
夫から『しばらく仕事を休みたい』と言われたときはそうさせてあげたい。

だけど今の私の低収入、低貯蓄では簡単に受け入れてあげられません。

他にも、たくさん懸念することがあります。

例えば、
 ・将来子供が生まれた時の育児の時間や、教育費を確保できるのか
 ・両親、義両親が将来自分たちの助けが必要になった時に援助してあげられるのか
 ・貯蓄がなさ過ぎて自分の老後が心配

こうしたことから、家にいられる時間が増やせる在宅ワークをして、
夫の収入がゼロになったとしても生活していけるだけ稼げるスキルを身につけたいと強く思うようになりました。

最後に

このような経緯で、在宅で働くためのスキルが学べるスクールに入会しました。ところが2カ月経ってもなかなかうまく行動に移せないまま日々悶々としていました。

そんな中、WEBマーケティングを学べる講座の存在を知り、その内容に対して言葉にうまく表せないドキドキする気持ちになったのです。

スクールで学ぶのは自分にはやっぱり難しかったのかなと思い始めていましたが、ここで辞めてしまったら絶対に後悔するとも思いました。

一日でも早く自分にとっての理想の未来に向かって歩き出したい、そう思って思い切ってこの講座に申し込みました。

冒頭でも書きましたが、私の今の目標は

1年後に在宅で月収30万円を稼いで脱サラし、
その半年後にフリーランスとして月収50万円を達成すること。

そして私と同じように
在宅で仕事をしてキャリアを積みたいけど、その一歩をなかなか踏み出せないという人に、勇気を届けたいと思っています。

最後にもう一つ目標を付け加えると
皆さんが一歩を踏み出して目標を叶えるためのサポートができるようになりたいです。

とはいえ、皆さんに語れるような高いスキルや知識は、現在はありません。

なのでまずは、1年後に月収30万円、その半年後に50万円を達成するために、
これからWEBマーケティングを学びながら、どのように行動していくか成長過程を記録し、発信していきます。

よろしければ、その成長していく様子をたまに見に来てください!

最後までお読みいただきありがとうございました。